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東京地方裁判所 平成2年(合わ)158号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

(本件公訴事実)

本件公訴事実は、次のとおりである。

被告人は、ほか数名と共謀の上

第一  治安を妨げ、かつ、人の身体・財産を害する目的をもつて、昭和六二年八月二七日午後八時二〇分ころ、東京都千代田区猿楽町一丁目二番二号日貿ビル前路上において、普通貨物自動車に設置した発射筒五本から成る時限式爆発物発射装置により、金属性砲弾型爆発物(頭部に撃針・信管を取り付けた黄銅製弾頭、鋼管内に爆薬を詰めた弾胴及び尾翼から成る爆発物)五個を皇居方面に向けて順次発射し、そのころ、同区北の丸公園五番四号宮内庁代官町宿舎敷地内及び同区北の丸公園二番一号科学技術館F号棟前路上等に着弾爆発させ、もつて爆発物を使用し、

第二  同日午後八時二四分ころ、前記千代田区猿楽町一丁目二番二号日貿ビル前路上において、前記車両(株式会社福田商会所有)の助手席床上及び荷台床上に各一個ずつ設置した、ガソリン入りポリ容器とテルミット入りコーヒー缶を金属板・針金等で密着するように固定させてこれに時限式発火装置を接続させた火炎びんの時限装置を作動させることにより、それぞれテルミットを焼燬させてポリ容器を溶解させ、同容器から流出したガソリンを燃え上がらせて同車両を焼燬し、もつて火炎びんを使用して人の財産に危険を生じさせるとともに、近接する街路樹・交通標識等を延焼させるなど付近建造物などに延焼するおそれのある状況を発生させて公共の危険を生じさせた。

(証拠上認められる事実)

第一  本件爆発物の発射及び爆発並びに放火事件の発生

一  爆発物の発射と爆発

昭和六二年八月二七日午後八時二〇分ころ、東京都千代田区猿楽町一丁目二番二号日貿ビル前路上に停車中の普通貨物自動車(以下「本件保冷車」という。)の荷台から、皇居方面に向けて、金属性砲弾型爆発物(頭部に撃針・信管を取り付けた黄銅製弾頭、鋼管内に火薬類を詰めた弾胴及び尾翼からなるもの)五個(以下「本件爆発物」という。)が、順次発射され、同区北の丸公園五番四号宮内庁代官町宿舎三号棟北側道路ほか四か所に着弾して爆発するなどした。

二  火炎びんの燃焼と車両等の炎上

同日午後八時二四分ころ、本件保冷車は後記三の時限式発火装置により発火・炎上し、その火が近接する街路樹等に延焼して付近建造物などに延焼するおそれのある状況が発生した。

三  爆発物発射装置及び時限式発火装置の構造等

本件保冷車の荷台には、五本の金属性発射筒を有する時限式爆発物発射装置が設置されており、付属のスイッチを入れると約九分四五秒後に第一弾が、約一〇分一五秒後に第二弾が、約一〇分四五秒後に第三弾が、約一一分一五秒後に第四弾が、約一一分四五秒後に第五弾が順次発射される構造となつていた。

また、本件保冷車の助手席前床上及び荷台床上には時限式発火装置が設置されており、右のスイッチを入れると約一四分〇四秒後に発熱し発火する構造となつていた。

右時限式発火装置は、それぞれ、ガソリン入りポリ容器とテルミット入りコーヒー缶を金属板・針金等で密着するように固定させた構造のもので、時限式発火装置の作動によりテルミットを燃焼させ、その熱によつて右ポリ容器を溶解させ、同容器から流出したガソリンを燃え上がらせる機能を有するものであつた。

第二  本件各犯行についての革命的共産主義者同盟全国委員会(以下「中核派」という。)の報道等

一  昭和六二年八月二九日午後六時四〇分ころ、白ヘルメット着用の男三名が、都営地下鉄三田線西高島平駅で都営三田線車両に乗車し、車内で、乗客に対し、中核派革命軍が同月二七日午後八時二〇分皇居に対するロケット弾攻撃を敢行した旨の記載のある「革命軍軍報」と題するビラを配付するなどした。

二  さらに、同年九月七日付及び一四日付の前進社発行にかかる機関紙「前進」には、それぞれ、中核派革命軍が同年八月二七日午後八時二〇分、皇居に五発のロケット弾を打ち込んだ旨の記事が掲載されている。

三  以上のとおり、中核派は、その所属員が本件各犯行を実行したことを自認する行動をとつている。

(争点)

本件における争点は、被告人が本件各犯行の実行行為者であるか否か、すなわち、本件各犯行と被告人との結びつきである。

検察官は、本件爆発物の発射直前に犯行現場ないしその付近で不審な男性を目撃し、その目撃した男性と被告人との同一性を写真面割り、面通し等により識別したとする三名の証人(B、C、D)の供述等により、被告人が本件各犯行の実行行為者であると主張している。

一方、被告人及び弁護人は、本件各犯行を否認し、右各証人の供述の信用性を争い、アリバイを主張した。

(判断)

当裁判所は、被告人と本件各犯行との結びつきについて、合理的な疑いを超える証明はないものと判断するが、その理由は以下に述べるとおりである。

(なお、以下においては、公判廷における供述、公判調書中の供述部分、捜査官に対する供述調書における供述等を、いずれも「供述」ということがある。)

第一  アリバイについて

被告人及び弁護人は、昭和六二年八月二七日の本件各犯行当時、被告人は中核派組織からの指示により、同派の活動家であるE(通称「E’」)の論文執筆の補助と自己の休養のため、群馬県吾妻郡《番地略》所在の別荘、通称甲野ボックス(以下「本件別荘」という。)に宿泊していた旨主張する。

そこで、まず、このアリバイ主張につき検討する(なお、この検討に当たつては、前記Bら三名の目撃証人の供述は除くこととする。これらについては、後に検討する。)。

一  被告人のアリバイ供述の要旨

1 当初のアリバイ供述の要旨

被告人は、当初、第三五ないし三七回公判において、本件各犯行当時のアリバイについて、要旨次のとおり供述(右公判調書中の供述部分)していた。

(1) 被告人は、昭和六二年六、七月ころに中核派組織から、被告人自身の休養のため、軽井沢の別荘に宿泊するように指示を受け、その後、同派の活動家である通称E’某(E)の論文執筆の補助をするよう指示された。被告人の主な任務は、Eのため、対外的な対応の任に当たること、被告人の用語で言えば「対社会の顔」になることであつた。

(2) 本件別荘には、中核派組織の乗用自動車で、被告人が運転して、Eが助手席に座り、二人で行つた。自動車の車種は、トヨタのクラウン系の古いタイプのもので三角窓があつた。別荘には東京方面から向かい、郵便局を目標としていき、その日の夕方、まだ明るい時間帯に到着した。被告人は、八月一八日の被告人の誕生日の祝杯を別荘であげた。

(3) 別荘に行くために乗つて行つた乗用車は、別荘前の敷地の別荘に向かつて右側の場所に、左側に前部を向けて道路と平行に駐車し、その位置は滞在期間中変えなかつた。また、滞在期間中に被告人とE以外に別荘に来た者はなく、右自動車以外に敷地内に自動車を駐車したことはなかつた。

(4) 被告人は、別荘に滞在中ほとんど部屋の中におり、一階のリビングルームで、基本的には骨休めをして、組織関係の文献を読んでいた。Eは、二階のベッドルームで論文の執筆作業をしていた。被告人とEは、別荘内の電話を使つて外部と連絡をとつたことはない。被告人及びEは、別荘に到着してから帰るまでの間、管理人事務所に立ち寄つたことはなかつたし、管理人と顔を合わせたこともない。

(5) 食料と雑貨については、なるべく外に出ないという方針で計画し、行く途中のスーパーで購入し、段ボール二つとスーパーの紙袋二つに入れて運んだ。外出はほとんどしなかつたが、少なくとも二度は買い物に出て、スーパーマーケットで食料やワインを買つた。

(6) 被告人は、八月二七日の夜も本件別荘におり、持参していた携帯ラジオで聞いたニュースで、皇居に向かつてロケット弾が発射されたことを知り、二階へ行つてEにすぐに知らせた。

(7) 被告人は、同年九月初旬ころまで同別荘に宿泊した。

2 アリバイ供述に対する検察官の反証

検察官は、右のような被告人のアリバイ供述に対する反証をした。

そして、その証拠である証人F子の当裁判所の尋問調書及び証人G、同H、同Iの公判供述、「六二年八月分オーナー別荘」と記載のある資料(甲一四七)、「六二年九月分オーナー別荘」と記載のある資料(甲一四八)、捜査関係事項照会回答書(甲一五二)、別荘の管理日誌一冊(甲一五五)、現像済カラーフィルム一本(甲一五八)、写真複製報告書(甲一五九)、写真複製報告書(甲一六七)、写真三枚(甲一六二)、写真二枚(甲一六三)、ネガフィルム一本(甲一六六)、写真一枚(甲一七〇)、写真四枚(甲一七一)、捜査関係事項照会回答書(甲一七四)、宿泊者名簿二枚(甲一八三、一八四)によれば、以下の事実が認められる。

(1) 証人F子は夫と共に、群馬県吾妻郡《番地略》番地内にある乙山株式会社丙川村丁原(以下「丁原別荘地」という。)の別荘管理事務所で昭和五九年六月から別荘管理の仕事をしている。

右別荘地内にあるJ外数名が共有する本件別荘を、昭和六二年八月一八日から同年九月八日まで、「K」と称する男性が宿泊して利用したことがある。

Kとして本件別荘を利用した男性は、利用開始日である昭和六二年八月一八日の午後三時三〇分ころ及び利用終了日である同年九月八日の午後一時ころに、それぞれ別荘の管理事務所に挨拶に来た。

なお、F子は、被告人の写真(甲八二)を見たが、会つたことのある人だとは思わないと述べている。

(2) 証人Gは、昭和六二年八月二六日午後三時ころから翌二七日午後九時ころにかけて、丁原別荘地内の貸別荘(別荘番号〇〇号)を家族で利用した。

〇〇号の別荘の東側には、道を隔てて本件別荘があつた。

同月二六日の到着時、同日の夕刻ころ、同日午後八時ころ及び午後九時ころ並びに翌二七日午前一〇時ころ、午後三時ころは、いずれも本件別荘の前には自動車はなかつた。

なお、Gが、同月二七日の午前七時半ころ、子供達と散歩に出て、午前八時ころ、〇〇号の別荘に戻つてきて本件別荘近くを通りかかつたところ、本件別荘の玄関前にワンボックスカーないし四輪駆動車のような箱型の自動車が一台駐車しており、四、五人の男性がミカン箱よりも小さいようなダンボールの箱様の荷物を二、三個出し入れしながら立ち話をしていた。

そして、Gは、右四、五人の男性の中に被告人がいたかどうかは覚えていないと供述している。

(3) 証人H及び同Iは、昭和六二年八月二二日から二三日にかけて、丁原別荘地内の貸別荘(別荘番号〇〇〇号)にそれぞれの家族と宿泊した。同月二二日午後四時前後ころから、三〇分間位、双方の家族で本件別荘の東隣にあるテニスコートでテニスをし、〇〇〇号の貸別荘からテニスコートまでの行き帰り、本件別荘の前を徒歩で通過したが、その際、本件別荘の前の敷地部分には自動車は駐車していなかつた。

同日午後八時前後に、本件別荘の西側道路上で花火遊びをした。その際、本件別荘の前の敷地部分には、黒色でクラウン系の年式の古い長野ナンバーを付けた自動車一台と、白色でカリーナないしブルーバードクラスのクラウン系のものよりもひとまわり小さなやや古い型式の東京ナンバーを付けた自動車一台が縦列状態で駐車していた。

翌二三日午前九時過ぎころ、別荘を出たが、そのころには本件別荘前の敷地部分に自動車は駐車していなかつた。

(4) 本件別荘内に設置された電話は、昭和六二年八月二一日から同月三一日まで三度数分利用され、同年九月一日から同月九日までにも三度数分利用されている。

3 修正後のアリバイ供述の要旨

検察官による以上の反証により、被告人の当初のアリバイ供述のうち、(1)本件別荘には被告人とEの二人で滞在し、別荘滞在期間中、いずれも管理人事務所を訪れたり、管理人と会つたことはないとの点(1(3)、(4))、(2)被告人が別荘に乗車していつた乗用車は、別荘前の敷地部分の別荘に向かつて右側に道路と平行に駐車し、その位置は滞在期間中変えなかつたこと(1(3))、(3)右自動車以外に自動車を本件別荘前に駐車したことはないこと(1(3))、(4)滞在中に本件別荘内の電話を使用したことがないこと(1(4))は、いずれも客観的事実に反することが明らかとなつた。

被告人は、以上のような検察官の反証の後、第四三回公判において、アリバイにつき、次のように供述を一部修正変更した。

(1) 被告人が、本件別荘に滞在していた際、Eのほかに、被告人としては氏名その他人物の特定に繋がる事項は明かせない四名の者が同宿していた。

従来、これを偽つていたのは、本件別荘で他の活動家と共に非合法の偽造ナンバープレートの作製作業を行つていたことを明らかにすることは、非公然活動家である被告人の信条に反するからである。

(2) 被告人は、本件別荘に宿泊する前日に、指定された場所に行つた後、E及び他の二名(以下「甲」、「乙」という。)とビジネスホテルに宿泊して打合せをした。その際、被告人は、基本的にはEのサポートをすること、それとは別に本件別荘で偽造ナンバープレートの作製を行うことを聞き、本件別荘に関する情報、本件別荘への行き方等の打ち合わせをした。

被告人は、翌日、E、甲及び乙と古いタイプのクラウン系統の乗用自動車一台で、乙が運転し、甲が助手席に乗り、被告人とEが後部座席に乗つて本件別荘に至り、四名で宿泊した。

甲は本件別荘における作業等を統括する立場にあり、乙は他の非公然活動家を防衛するために対外的な接触をする役割(被告人の用語によれば、「対社会の顔」となるもの)であつた。

(3) 被告人らが本件別荘に到着した翌日ころ、さらに中核派の活動家二名(以下「X」、「Y」という。)が偽造ナンバープレートの作製のために本件別荘に到着した。

(4) その後、本件別荘では、約一週間にわたり、X、Yを中心として偽造ナンバープレートの作製作業を行い、その間、被告人も偽造ナンバープレート用のアルミ板の隅につくバリをやすりで取つたり、ビスの穴を開けたり、やすりをかけたりという補助作業をしていた。その際、Eは自分の論文執筆に当たり、甲、乙は作業の補助や本件別荘周辺の警備などを行つていた。

(5) 被告人は、本件別荘に到着してから帰途に着くまでの間、一度も本件別荘の外部に出ていない。被告人らが別荘に到着してから数日後に、甲、乙は二人で一泊二日で外泊している。また、甲、乙、X及びYは、別荘到着から一週間位後に、被告人とEを残して、ナンバープレートに白色塗料を吹きつける作業を屋外でするということで外出し、二、三泊外泊した。右四名が外出する際、製造したプレート類は厚紙で作つた石鹸箱様の箱に入れて運び出しており、また、被告人は、四名の者に対し、ゴミを黒いゴミ袋に入れて二個のダンボール箱に梱包して預け、捨てるように依頼したが、その際にも玄関の外へは出ていない。

(6) 八月二七日の夜、本件別荘にいたのは、被告人とEのみであつた。

被告人は、八月二七日の夜、本件別荘の一階において、持参していた携帯ラジオのニュースで本件事件の発生を知つた。被告人は、当時、本件犯行が中核派による犯行であるか否か知らなかつた。そして、被告人は、二階に上がり、Eに事件の発生を知らせたが、Eの反応はあつさりしたものであつた。

(7) その数日後、甲、乙、X及びYが本件別荘に戻り、被告人から四名に対し、本件事件のニュースがあつたことを知らせたが、四名はそのニュースを知らず、どこがやつたのかという話にはなつたが、それ以上の話は出なかつた。

(8) 甲ら四名が本件別荘に戻つてから二日位の間に、偽造ナンバープレートの数字等の部分に緑色の塗料を塗る作業をして、偽造ナンバープレートの作製作業は終了した。X及びYは作業終了後、八月末日か九月始めころに、甲及び乙に送られて本件別荘を出た。甲及び乙はその際、一日外泊したのち本件別荘に戻つた。その後、本件別荘においては、被告人や甲、乙は組織関係の文献を読むなどし、Eは論文執筆を継続していた。

(9) 別荘の使用終了後、本件別荘に来たときと同じ乗用自動車で、同じ位置に座り、乙が運転して別荘を出た。

別荘を出て軽井沢へ向かつて走る街道の左手にコンクリートブロック塀がコの字型かL字型に組まれた大きなゴミ捨場があり、そこに別荘宿泊中に出たゴミを捨てた。

二  被告人のアリバイ主張に関する証拠関係の検討

1 被告人のアリバイ供述の裏付証拠とその検討

(1) 証人の供述

まず、その裏付証拠として証人L(第三二回公判調書中の供述部分)、同M子(第三三回公判調書中の供述部分)、同N(第三七回公判調書中の供述部分)の供述があり、その要旨は以下のとおりである。

〈1〉 証人L

Lは、昭和四九年以前から、当時東池袋にあつた前進社に出入りしていた被告人を知つている。

Lは、昭和六二年当時、東京都豊島区《番地略》所在の前進社に常駐していたが、同年六月終わりころか七月始めころ、中核派の非公然組織の責任ある者から、セブンすなわち昭和四九年一月二四日に横浜国立大学で起こつた事件の被疑者として逮捕状の出されている中核派活動家七名のうちの一人と被告人が原稿書きのために場所を必要とするので、盆から三週間、安全で静かな場所を提供してほしいとの依頼を受けた。セブンの一員とは、Eであつたと後に聞いている。

そこで、Lは、色々な人に聞いた上、かねて知つていたM子という女性の知り合いに別荘を持つている人がいるという情報を得て、M子に文書で、別荘の借用方を依頼した。Lは、M子から、盆からは無理だが、盆明けなら三週間大丈夫である旨の返事を受け、依頼先と連絡の上、結局、八月一七日ころから三週間借用することになつた。前進社で、M子から、地図、使用上の注意を記載した書面、鍵等を受け取り、所有者関係等の説明を受けた。その際、建物は船底型あるいはドーム型で、下はワンフロアーで二階に布団部屋だか、布団を入れるところがあり、また、別荘には管理人がいる旨聞いた。

Lは、依頼者に対し、管理人がいるが、管理人に顔を合わせないでも行けるはずである旨の報告をするとともに、別荘の鍵等を渡した。Lは、別荘の借用期限満了後、関係者から、「ぎりぎりまでいたけれども、期限どおりに空けた、管理人のところに寄つたが管理人はいなかつた、何事もなく無事であつた。」旨の報告書を受け取つた。

〈2〉 証人M子

M子は、旧姓はM’であるところ、昭和六二年六月末ころ、中核派のメンバーから、別荘を借りるように頼まれ、池袋の前進社へ行つてLと会い、職場の知り合いが共有している別荘について、概略の説明をした。その際、使用目的は、物書きが主で、あと、少し体を休めることである等の説明を受け、その別荘を三週間か一か月位借りることの可能性等につき詳しく聞いてほしい旨依頼された。

そこで、M子は、職場の知人に本件別荘の共有者の一人で既に退職していたO子の住所を尋ねて、O子宅を訪問した。O子から、利用してもらつても良いが、別荘が空いているかどうか、共有者のうちの責任者に連絡をとつて確認をしてもらいたいと言われ、その電話番号と名前を聞いた。数日後、M子は、右の責任者に電話連絡をして、内諾を得た。

M子は、前進社に確認した上、別荘の責任者に連絡したところ、使用方法等については、O子から聞いて、鍵も同人から借りるように言われた。そこで、八月一〇日前後に、O子方を訪ねて、O子の夫も同席するところで、別荘の場所、行き方、使用方法等の説明を受け、鍵を預かつた。M子は、同日ころ、前進社に赴いて、Lに別荘の鍵を聞係の資料と共に渡した。

M子は、別荘の使用期間終了後の九月中旬ころ、中核派の関係者から別荘の鍵とその利用料金として三人で三週間宿泊した分に相当する約一二万円を受け取り、それをNに届けた。

〈3〉 証人N

Nは、O子の夫であり、本件別荘を昭和五五年に建て、以降、証人を含む五名で共有している。本件別荘は、営業として貸している訳ではないが、共有者がその責任で知人に一人一日二〇〇〇円で貸すことが認められている。

Nが、当時の手帳(弁五九はその写)を見るなどして記憶を確認したところ、昭和六二年七月下旬ころ、妻が以前勤務していたころの職場の同僚であるM’という女性から本件別荘を一か月位借りたいとの申し出を受け、これに貸した。使用目的は、妻から、M’の夫が物を書くので、静かな場所だから使用したいとのことと聞いた。貸与に先立ち、M’に本件別荘に行く方法、建物の特徴、使用上の注意等を説明した。使用終了後、M’から鍵の返還を受け、使用料として一〇万円以上を受領した。これを、本件別荘を使用した会社の同僚であるPに託して、同人の別荘使用料(一泊程度)と一緒に関係口座に振り込むように依頼した。

(2) 右各供述の裏付けとなる証拠

預金通帳写(弁五二)によれば、本件別荘の共有者の一人であるJの八王子信用金庫における普通預金口座に、昭和六二年九月二一日、「P」名義で一二万四〇〇〇円が振り込まれている。

Nの手帳写(弁五九)によれば、昭和六二年七月二〇日から二六日までのページの右余白に「8/14 15 P君」「8/18~31 M’さん、telを聞く」との記載がある。

(3) 検討

Nの前記供述は、被告人の所属する組織も無関係の者の供述であつて供述内容にも不自然なところはない上、一部に物的な裏付けもあり、信用することができる。また、既に認定したとおり、証人F子の前記供述、「六二年八月分のオ-ナ-別荘と記載のある資料」(甲一四七)及び「六二年九月分オ-ナ-別荘と記載のある資料」(甲一四八)によれば、昭和六二年八月一八日から同年九月八日までの間、本件別荘がM子の旧姓と同じ「M’」の名義で使用されていたことが認められる。さらに、L及びM子の各供述のうち前記(1)〈1〉、〈2〉の各部分は、被告人の関係する中核派組織に関わりのある者による供述ではあるが、大筋において相互に矛盾がないのみならず、右Nの供述等とも整合しており、その限度において信用することができるものである。

これらを総合すれば、次の事件が認められる。

〈1〉 昭和六二年六、七月ころ、Lは、中核派非公然組織の責任ある地位にある者からセブンの一員(E)と被告人が論文執筆と休養をとるために安全な施設の調達を依頼された。

〈2〉 Lは、M子の知り合いに別荘の所有者がいるとの情報を得、M子を通じて本件別荘を借りる手続を取つた。

〈3〉 M子は、本件別荘の共有者の一人であるNから、本件別荘の鍵を、別荘の所在地、行き方、使用方法等に関する説明書と共に受け取り、Lに渡した。

〈4〉 Lは、本件別荘の鍵等を自己の報告書と共に、借用の依頼者に引き継いだ。

〈5〉 以上の経過により、本件別荘は、昭和六二年八月一八日から同年九月八日までの間、中核派の構成員のため、M’名義で借用、使用された。

〈6〉 本件別荘の利用終了後、昭和六二年九月二一日、その使用料が本件別荘の共有者の口座に振り込まれた。

2 被告人のアリバイ供述の信用性について

(1) 被告人が昭和六二年八月一八日から同年九月八日の間に本件別荘を使用していたとの点について

前記1(3)に認定した各事実によれば、昭和六二年八月一八日から同年九月八日までの間、M’名義で中核派関係者により本件別荘が借用されたことは認められるものの、それ以上に、被告人が右の期間中、本件別荘に滞在していたことが証明されたわけではない。すなわち、被告人が右期間中の本件別荘の利用者であつたことを基礎付けるものは、Lの供述のみであるが、それも、中核派の非公然組織の者から被告人及びEが使用するために別荘を調達するようにと指示され、その手配をしたというに止まり、現実の使用がどのようになされたかという点については、Lも関知していないからである。

そこで、右期間中本件別荘に滞在していた旨の被告人の供述の信用性につき判断する。

〈1〉 弁護人は、第三五回公判における被告人質問の際、本件別荘及びその周辺の状況に関する写真撮影報告書(弁五六)を被告人に示す前に、被告人が本件別荘に滞在したことの裏付けとするため、被告人に本件別荘の特徴ないしその周辺の状況につき供述させている。

その供述内容(右公判調書中の被告人の供述部分)は、要旨次のとおりである。

a 別荘は、進行方向に向かつて右側の、街道から離れていないところにあつた。別荘の近くには、バス通りが通つていた。

b 別荘には、離れた位置に一見民家風の管理事務所があつた。

c 別荘は建物の基礎の部分がコンクリートで覆われるような形になつており、普通の民家の形態よりも随分床が高かつた。

d 別荘の材質は木であり、屋根が三角形であつた。

e 別荘の玄関のドアを開けると、ガランガランという鈴のような音がした。

f 玄関ドアは、向かつて左側が開くものであり、右利きの被告人が無理なく玄関ドアを開けることができた。

g 玄関はコンクリートのたたきであり、そこには電話があつた。

h 別荘は、一部二階建になつており、一階にはリビングルームと、玄関部分、台所部分、洗面所、トイレ、風呂場があり、玄関部分と台所部分の上に二階部分があり、そこはベッドルームになつていた。

i リビングルームには、木製で長方形のどつしりとした感じの大きなテーブルがあり、それにセットになつて、背もたれのないベンチ形式の椅子が設置されていた。また、リビングルームにはステレオのセットがあり、スピーカーがベランダ沿いの両サイドにあつた。

j リビングルームに入ると、階段に気づくような構造であつた。

k リビングルームには、ベランダ側に床から一・八ないし二メートル位の高さまで、ほぼ全面にわたつてガラス戸があつた。また、玄関を背にして、右側の壁の一階部分に二つの窓があり、その上部に明かり取りの窓の形でさらに二つの窓があつたが、左側の壁の方には窓はなかつた。

l 台所には道路に面する方向に窓があつた。

m 別荘の裏側にはテニスコートがあり、しよつちゆうボールをはじく音や男女の声が聞こえ、ベランダからときどきテニスをする姿を眺めていた。

n 階段で二階に上がつたところに長い踊り場があり、リビングルームを見下ろせる状態であつた。

o 二階には、二段ベッドが二組ある部屋があり、構造は記憶していないが、もう一部屋あつたような気がする。

〈2〉 右写真撮影報告書(弁五六)及び当裁判所の検証調書(平成五年五月一四日実施のもの)によれば、被告人の右供述は、(1)玄関ドアの開く方向がfと反対であり、(2)二階には二段ベッドは一組しかなく、部屋は一つしかなかつたという点で客観的事実と異なるが、他の点では、それと一致しているものと認められる。

したがつて、被告人が供述した本件別荘の特徴及びその周辺の状況についての説明は、客観的事実と食い違うところが一部あるものの、大筋においてこれと一致している。被告人は、右供述当時、勾留中で接見禁止の状態にあり、弁護人が告知するのでない限り、本件別荘の状況について他から具体的知識を得ることは困難と認められるところ、被告人は、右供述時までに弁護人から本件別荘の外観の写真は見せられたことはあるが、内部の写真は見たことがないと述べており、また、被告人の本件別荘に関する供述は、右e、m、nのように建物の状況等についての印象を含めて述べており、しかも、二階の踊り場から一階を眺めたときの印象につき、「何とも言えない懐かしいというか、新鮮な気分ですよね。」などと実感のこもつた供述をしているのであつて、実際に現場を訪れた者でなければ供述することが困難と思われる内容を含んでいるものと認められる。

検察官は、被告人の供述には客観的事実に反する部分のあることや経験した者であれば当然知つているはずの事柄について記憶がない旨供述しているとして、被告人の供述は不自然であると主張するが、被告人の供述には一部事実と異なる点や記憶にないところがあるとしても、体験から約五年半も経過した時点における供述としては、必ずしも不自然、不合理ということはできない。

〈3〉 次に、既述のとおり、被告人は、当初、本件別荘にEと二名で宿泊していた旨供述していたものが、検察官による反証を経た後に、さらに四名の者と宿泊していた旨供述を変更し、当初の供述では虚偽の事実を述べていたことを自認しており、このことは被告人の供述全体の信用性にかかわるものである。

しかしながら、本件別荘の構造、特徴についての被告人の供述は、当初から変更はないものであつて、しかも、さきに述べたとおりそれは客観的事実と大筋において合致し、経験した者でなければ述べることが困難と思われる事柄を含んでいる。

そして、被告人が当初本件別荘に宿泊した者及びその滞在目的等について虚偽の事実を述べていた理由は、他の中核派活動家と共に偽造ナンバープレートの製造という違法な行為を行つていたことを明らかにすることは、非公然活動家である被告人の信条に反するものであつたというものであり、これをもつて、あながち不合理な弁解と決めつけることもできない。

また、被告人の変更後の供述における本件別荘での活動状況、各人の役割分担等の供述内容には具体性があり、しかも、被告人としては本来述べたくない事柄について、関係者の特定に繋がらない範囲で、敢えて供述したものと認められ、その信用性は必ずしも低いとはいえない。

結局、被告人のアリバイ供述の変更は、変更後の供述にもなお虚偽が含まれている可能性を否定できないことを示すが、他方、本件別荘の特徴に関する被告人の供述内容からすれば、被告人が本件別荘を使用したことがあるという点では信用性が認められるというべきである。

〈4〉 そして、本件別荘が主として共有者らが自ら使用するために建てられたものであり、これを貸与するのは共有者の知り合いに限られていたことからすると、中核派の構成員のために本件別荘が借用された昭和六二年八月一八日から同年九月八日までの期間以外に、被告人が、中核派の組織を通じて、または個人で本件別荘を利用した可能性は極めて低く、また、そのように利用したことを窺わせる証拠はない。

これらの事情を総合すれば、被告人が昭和六二年八月一八日から同年九月八日までの期間中に本件別荘を利用したことを認めることができる。

(2) 被告人が昭和六二年八月二七日の夜に本件別荘にいたとの点について

〈1〉 問題は、被告人の昭和六二年八月二七日当夜のアリバイであるが、前記のように中核派の関係者によつて本件別荘が昭和六二年八月一八日から同年九月八日まで借用され、その際に、被告人が本件別荘を利用したことがあるとしても、その間に本件別荘を出入りすることは可能なのであるから、被告人が本件各事件の発生した昭和六二年八月二七日当夜に本件別荘にいたということが証明されたものとはいえない。

そして、証人Nの前記供述によれば、本件別荘から東京都内までは、高速道路を使用すれば三時間余りで到着することができることが認められるから、昭和六二年八月二七日当日に本件別荘を出発しても、本件各犯行を敢行することは可能である。

〈2〉 被告人は、「八月二七日の夜、本件別荘一階において、本件事件の発生を持参していた携帯ラジオで聞いたニュースで知り、二階で執筆活動をしていたEに知らせた。その際、本件別荘には、被告人とE以外には誰もいなかつた。」旨供述するが、この供述を裏付ける証拠はない。

なお、証人Gは、八月二七日本件別荘に人がいたと思う、夜も明かりがついていた旨供述するが、人の姿は見ておらず、被告人がいたことを裏付けるものではない。

そうすると、被告人のアリバイ主張を基礎付けるものは、被告人の供述以外にはなく、しかも、被告人が当初虚偽の供述をしていたことをも考慮すると、その供述のみをもつて本件事件当時被告人にアリバイがあつたと確定しうるものとはいえない。

〈3〉 しかし、その反面、本件別荘が昭和六二年八月一八日から同年九月八日まで中核派の構成員のために借用され、前述のように被告人がその期間中に本件別荘を使用したことがあることは認められるのであり、本件別荘における関係者のその間の活動に関する被告人の供述内容も具体性があり、その間継続して被告人が本件別荘に滞在していた可能性も否定できず、アリバイ主張に関する検察官からの反証も、被告人の当初のアリバイ供述に虚偽の含まれていることを明らかにしたに止まり、八月二七日当夜に被告人が本件別荘にいたことを否定する証拠はないこと、さらに、八月二七日本件別荘に人がいたと思う、夜も明かりがついていたとの前記G供述をも考慮すると、被告人が昭和六二年八月二七日の本件各事件当時に本件別荘にいた可能性も否定することはできない。

結局、昭和六二年八月二七日の本件各事件の発生したころ、被告人にアリバイがあつたと確定することはできないが、逆にアリバイを否定する証拠もなく、アリバイは成立する可能性があるということになる。

そこで、さらに進んで、前記Bら三名の目撃供述について検討する。

第二  目撃供述について

一  捜査の経緯等

証人Q(第一二、一三回公判調書中の供述部分)、同R(第二〇、二一回公判調書中の供述部分)、同S(第一九回公判調書中の供述部分)、同T(第一五、一六回公判調書中の供述部分)、同U(第一三、一四回公判調書中の供述部分)、同V(第六回公判調書中の供述部分)、実況見分調書三通(甲七一ないし七三、いずれも却下部分を除く。以下同じ)、写真台帳作成報告書三通(甲六五ないし六七、いずれも不同意部分を除く。以下同じ)によれば、以下の事実を認めることができる。

1 本件各犯行後、A’警視を実質的な責任者として警視庁神田警察署に捜査本部が設けられた。捜査本部には、目撃者として、本件爆発物が発射された直前ころに、千代田区猿楽町の発射現場付近で犯行に使用されたと思われる保冷車とその助手席に乗つて窓から顔を出して後方を見ていた男を目撃した者(B)、右付近で保冷車の助手席から降りてその運転台前部付近で誘導していた付け髭の男を目撃した者(C)、さらに、発射現場から北北西に約五〇メートルの位置にある交差点付近でいずれも付け髭をして歩いていた二人連れの男を目撃した者(D)があることが判明した。

2 捜査本部においては、前述のような中核派による犯行声明を基礎とし、右三名の目撃者から聴取した不審な人物の年齢、身長、眼鏡不使用などの特徴及び犯行の際に使用された発射弾、発射装置の構造などを総合して、本件各犯行については中核派の非公然活動家の関与と共に、犯行現場に到るまでに自動車検問により犯行が発覚することを防止する上で犯行車両の運転者として公然活動家を関与させた可能性があるとして、後記(一)(二)のように一定の絞り込みをした面割り用の写真帳を作成し、目撃者に示すこととした。そして、警視庁において中核派の構成員として把握している約一〇〇〇名の人物のファイルの中から、(一)非公然の活動家とされている男性で、身長一七〇センチメートル以上、犯行当時の年齢が二五ないし四〇歳、関東地域において検挙歴、活動歴があり、被疑者写真のある者、眼鏡を使用しないという条件の者を抽出し、また、(二)公然の活動家とされている男性で、その余の右(一)の各条件を満たし、かつ、眼鏡不使用という条件の運転免許証を持つている者を抽出した。その結果、前者につき一二名、後者につき二〇名の者が各抽出され、それぞれにつき顔を正面と横から撮影した被疑者写真を貼付した写真帳(前者が甲六五、後者が甲六六)が作成された。

3 捜査本部において、右各写真帳を前記三名に示して写真面割りを行つたところ、右三名は、目撃した男性ないしそのうちの一人に似た者の写真としていずれも甲六五の写真帳の四番の写真(被告人の写真)を選び出した。

本件で本件各犯行と被告人とを結び付けるものは、右三名による同一性識別供述以外にはない。

そこで、以下に、本件における目撃者らによる同一性識別供述の信用性につき検討する。

二  Bの供述について

証人Bは、昭和六二年八月二七日、日貿ビル入口で午後八時に友人と会う約束をし、同日午後八時過ぎに、日貿ビルに面してその南東側を通り、区立錦華小学校に面する区道〔通称猿楽通り。証人B、Cらの供述、実況見分調書(甲七一、七二、七三)等においては、警視庁における慣用により「錦華通り」とされている(甲七六参照)。以下「猿楽通り」という。〕に普通乗用自動車を停車して、その運転席で待機中、日貿ビルの南西側を通り靖国通りに至る区道〔通称錦華通り。同じく、前記供述等においては「猿楽通り」とされている(甲七六参照)。以下「錦華通り」という。〕から左折して猿楽通りに進入してくるトラックがあり、その助手席に乗車していた男が被告人に似ていた旨の供述をしており、検察官は右トラックが本件保冷車である旨主張するので、この供述の信用性について検討する。

1 B供述の要旨

証人Bの供述(第四、五回公判調書中の供述部分)の要旨は、次のとおりである。

(1) Bは、昭和六二年八月二七日午後八時に友人のWと千代田区猿楽町一丁目二番二号日貿ビル入口前〔地番についは、実況見分調書(甲七一)で認定〕で待ち合わせをし、同日午後七時四〇分ころ、猿楽通りの錦華公園前に普通乗用自動車で到着し、一旦停車した。

その後、午後八時ころ、車を前方に移動して、日貿ビル入口正面近くの錦華小学校前に錦華通り方向に向けて停車し、運転席でWを待つた。その際、窓は全開で、運転席シートはやや後ろに倒して座り、カーラジオを聴いていた。

(2) 猿楽通りは、Bの駐車した位置の前方で錦華通りと丁字路となつていたが、同日午後八時五、六分ころ、右丁字路を錦華通りから猿楽通りに左折してトラックがゆつくりと走つてきた。その際、ガツンというようなガードレールか道路標識にぶつかるような大きな音がした。Bは、その音に驚くと共に、猿楽通りは錦華通りに向けて一方通行と当時思つていたので、反対方向から車が入つてきたことに驚き、トラックに注意を向けた。トラックは、運転席が青色で二トン積位のもので、荷台が箱のような形になつていた。

(3) そのトラックは、ぶつかつた障害物を避けるように、プープーというバックブザーの音を四回鳴らしながら、五〇センチメートルないし一メートルくらいゆつくり後退した。その際、トラックの助手席に乗つていた人物が、窓から顔を出して、トラックの後ろ下方に顔を向け、障害物を確認して、誘導するようにしていた。

そのトラックの向こう側の日貿ビルの一階には、中華料理店の看板があつて非常に明るく、助手席の人はシルエットとして、その後方から顔の輪郭が見えたが、顔付きまでは分からなかつた。運転席の方は、真つ暗で全く見えなかつた。助手席の人を見ていた時間は、トラックが後退している間で四、五秒位である。

トラックが後退し終わつたころ、近くでWが友人らしい人と挨拶をしているところに気づいた。Wに気づいてからは、トラックやその助手席の人については、見ていない。その後、Wと食事に行つた。

(4) 目撃したトラックの助手席にいた人は、男性で、髪の毛は短く、頭の大きさは小さく、えらの張つているような感じを与えた。後方から見た右耳の上部がすつととがつているように見えた。首の線が細く、きやしやに見えたので、四、五〇歳位と思つた。眼鏡はかけていなかつた。

(5) 事件から二、三週間後、神田警察署で、二冊の写真帳(甲六五、六六)を見せられ、目撃した男に似ている者がいるかどうか聞かれた。写真帳に張られた写真を一枚一枚各一分位ずつ、特に横ないし斜めを向いた写真の顔の正面部分を手で隠して、顎と耳と首の部分を見て、それを二、三回繰り返し、目撃したときの印象と似た写真を選んだ。助手席の男と似ていると思つた写真は二枚あつた。そのうち甲六五の四番の写真(被告人の写真)が、顎の線と首の線とが、写真帳の中で最も良く似ていると思つた。

数か月後検察庁に呼ばれ、甲六七の写真帳(一一五名の写真が貼付されている。)を見せられ、助手席にいた男に似た写真として、七八番の写真(甲六五の四番と同じ被告人の写真)を選んだ。

平成二年七月に検察庁に呼ばれ、事情聴取の途中に、検察官と一緒に警視庁に行き、逮捕された被告人の面通しをした。被告人に目撃当時と似た姿勢をとらせて、後方から被告人の右側の輪郭を見たところ、髪の毛の短いような輪郭、くの字型の顎の線、首の細いところ、耳の線などが目撃したトラックの助手席にいた男と似ていた。そして、面通しの際には、断言はできないが目撃した当時と同様の角度で見た限りでは助手席にいた男と間違いないと思うと述べた。

法廷で見る被告人は、顎の部分、首の部分の輪郭がトラックの助手席にいた男に似ているが、耳は被告人の方が丸いような気もする。

2 B供述の信用性について

(1) 視認条件

〈1〉 目撃時の状況

Bがトラックの助手席にいた男を目撃した際の状況は、前記供述及び実況見分調書(甲七一)によれば、概略次のとおりである。

Bは、昭和六二年八月二七日午後八時五、六分ころ、猿楽通りの錦華小学校前に停車中の普通乗用自動車の運転席から、運転席側の窓ガラスを全開にした状態で、トラックが錦華通りから猿楽通りに進入して、ガツンというような金属質の大きな音を立てて止まつたことに驚き、その車両の方を見たところ、トラックの助手席にいた男が助手席側の窓から顔を出してトラックの後ろ下方に顔を向けており、この状態でトラックがゆつくりと五〇センチメートルないし一メートル位後退する間、四、五秒間位助手席の男を見た。

Bの目撃した位置からトラックの助手席の男の顔までの距離は、トラックが当初停止した位置で約七・五メートルである。また、目撃時は日没後であつて、トラックの周辺の主な光源は、日貿ビルの地下一階にある中華料理店「四川飯店」の同ビル一階に設置された電光式看板、ショーウインドー、同店入口から漏れる明かり及び同ビル一階外壁のショーウインドー上部に設置されたスポットライト二個であり、これらの光源とBとの間にトラックがあつたため、助手席の男の顔はBにとつて逆光の状態になつていた。

そして、Bは、右のような視認条件の中で、トラックの助手席の窓から顔を出して、トラックの後ろ下方を見ていた男の顔及び首をその後ろ側から四、五秒間見たものであつて、男の目、鼻、口等の容貌は見ておらず、顎、首や耳の形をシルエットの状態で見たというのである。

Bの視力は、裸眼で一・五であるが、そうだとしても、このような採光の状態でしかも右の距離をもつて、人物の顔の右側面の輪郭を後方から四、五秒間目撃した場合に、果たして目撃した人物の特徴について、後日、その同一性を確認しうる程に視認することができるかということには、多大の疑問がある。

そして、Bが挙げる耳、首、顎などの特徴は、その供述自体からも、また、甲六五の四番の被告人の写真からしても、一見して他の人物と区別しうるような著しいものがあるとは認められないことからすると、右の疑問は一層強く残る。

〈2〉 検証の結果

当裁判所の検証調書(平成四年一一月五日実施のもの)によれば、以下の事実が認められる。

a 裁判所において、平成四年一一月五日午後七時五〇分から同日午後一〇時一九分まで、猿楽通りの日貿ビル前路上において、保冷車在中者の目撃状況及び人物識別状況等を明らかにするため、検証を実施した。

検証の際には、Bが立ち会つた昭和六二年一一月九日付実況見分調書(甲七一)添付現場見取図3に基づいて、Bの乗車していた車両及び目撃した車両の位置をそれぞれ特定し、B車両及び本件保冷車とほぼ同様の車両を使用して実施した。

b そして、Bの目撃位置から、猿楽通りに進入してきた保冷車が、(1)停止して男が助手席の窓から顔を出した位置と、(2)その位置から保冷車が後退し、後退を完了して停止した位置とのそれぞれについて、助手席の人の顔が、〈1〉助手席のドアガラスに接するくらいの位置、〈2〉助手席のドア窓から顔を全部出した位置で、顔面を、[1]日貿ビルに対し正面を向いた体勢、[2]右の体勢からさらに約四五度後方に向けた体勢、[3]右の状態からさらに保冷車の真後ろ方向に向いた体勢にして、それぞれの人物識別状況を検証した。

c その結果、当初保冷車が停止した位置における人物識別状況は、Bの供述する視認状況に沿い、比較的視認状況が良かつた助手席のドア窓から顔を全部出した位置で視認した場合でも、顔の輪郭、鼻及び衣服がシルエット状になつて見え、顔形が面長か否かの程度の視認はできるが、耳の形、鼻の高さ、頬骨の形、顎の形、前髪・後ろ髪の状態、髪の毛の生え際等は視認できない状態であつた。

また、保冷車が後退した位置における人物識別状況についても、前記と同様に助手席のドア窓から顔を全部出した位置で視認した場合でも、四川飯店の照明からの明かりの影響で、人の顔の表面及び前髪が光つて反射して見えるが、耳の形、目鼻立ち、頬骨の形、顎の形、後ろ髪、髪の毛の生え際等は視認できず、顔の特徴をつかむまでにはいえない状態であつた。

d 以上は、いずれも、錦華小学校校庭内に設置された常夜灯(前記実況見分調書の添付現場見取図3に☆で表示されているもの)を消灯して行つたものであるが、これを点灯して検証した結果も、視認状況に特徴の変化はみられなかつた。

以上、要するに、Bの視認した状況を再現した検証の結果、最も視認の条件が良い位置及び体勢であつても保冷車の助手席にいた人物の耳や顎の形は視認できず、顔の特徴をつかむことはできない状態であつた。

なお、検察官は、検証時と異なり、Bが目撃した時には暗闇に目が慣れた状態にあつたこと、及びBの車両の後方から進行してきた車両の前照灯が存在した可能性のあることを主張する。

しかしながら、前記検証調書によれば、裁判所において施行した検証は、付近の建物、街路樹等の状況、地点等の特定、照明の状況等を確認ないし確定した後に、視認状況について検証したことが認められるから、暗闇に目が慣れていない状態で行われたということはない。

また、Bがトラックの助手席の人物を目撃した際に、Bの車両の後方から進行してきた車両があつたことを窺わせる証拠はない。むしろ、Bは、トラックの運転席は真つ暗で全く見えなかつたと供述しているのであるから、検察官の主張するような状態はなかつたものと認められる。

(2) 写真面割り等

右(1)〈2〉の検証の結果によると、保冷車の助手席にいた人物の耳や顎の形は視認できず、顔の特徴をつかめないと認められるのであるが、なお念のため、Bの写真面割り等についても検討を加えることとする。

前記のとおり、Bは、昭和六二年八月二七日午後八時五、六分ころ、以上のような視認条件の下でトラックの助手席にいた人物を目撃し、その二、三週間後に合計三二名の顔写真を貼付した写真帳二冊(甲六五、六六)により写真面割りを行い、甲六五の写真帳の四番の写真が助手席にいた男に似ているとし、更に、数か月後検察庁で、一一五名の顔写真を貼付した写真帳(甲六七)で甲六五の写真帳の四番と同じ写真を選びだし、平成二年七月、被告人の面通しをして、断言はできないが目撃した当時と同様の角度で見た限りではトラックの助手席にいた男と間違いないと思う旨、当時述べたと供述している。

このうち、同一性の識別ということで最も重要性を有するのは、第一回目の写真面割りであるが、Bは、警察で行われた第一回目の写真面割りの際、甲六五、六六の写真帳に貼付された三二名分の写真のうち横ないし斜め横を向いたものにつき、目、鼻、口、眉等を手で隠して、顎と耳と首の線を確認しながら同一性を識別したということである。

これは、目撃状況にできるだけ近い状態を想定しようとするもので、面割りの方法としては誠実なものということができる。しかし、その方法は、人の顔の特徴のうち極く限られた一部分に限つた特徴の同一性の識別であることは明らかであり、しかも、Bの挙げる顎等の特徴が一見して他と区別しうるようなものではないことからして、その正確性についてははなはだ心許ないところがある上、現実に目撃した角度と撮影されている容貌の角度は異なるものであるから、その点でも比較対照する上で正確を期することは困難な面があるものといえる。

そして、検察庁での写真面割りも、第一回目の写真面割りと同様の難点があり、第一回目の写真面割り以上の証拠価値を有するとはいい難い。

また、被告人の面通しは、事件後三年近く経過した時点で行われたものであり、元々の記憶が当初に比べ相当程度薄れた状態にあつたものと推認され、また、それまでに写真面割りで選別した者で、その後逮捕された状態にある被告人について、前述のような顔の特徴のうちの極く限られた一部分の特徴を見て、同一性を識別しようとしたものであつて、第一回目の写真面割り以上の証明力があるとは認められない。

(3) 結論

結局、Bの目撃状況は、視認の条件が非常に悪く、人物の容貌の特徴をとらえることができるような状態にあつたとは認め難く、人物の同一性を識別できる程に助手席にいた人物の特徴を視認できたとするBの供述の信用性には多大な疑問があり、また、たとえ、Bが挙げる顎等の特徴が視認できたとしても、その同一性識別供述は、そのような限られた視認による印象に基づき、しかも限定された特徴の識別を前提としてなされたものであつて、その供述に基づいて人物の同一性を認めうるようなものとはいえない。

三  Dの供述について

証人Dは、昭和六二年八月二七日午後八時一五分前後ころ、本件爆発物が発射された地点から北北西約五〇メートルの地点にある千代田区猿楽町一丁目二番四号第二出版販売株式会社(以下「第二出版社」という。)前路上において、付け髭をした二人の男が錦華小学校方面から錦華公園方面に足早に歩く姿を目撃し、そのうちの一人が被告人に似ていた旨を供述するので、この供述の信用性について検討する。

1 D供述の要旨

証人Dの供述(第九、一〇回公判調書中の供述部分)の要旨は、次のとおりである。

(1) Dは、ビルの電気配線工事等を業とする者であるが、昭和六二年八月二七日当時、千代田区神田神保町一丁目三四番地所在の戊田ビル〔地番については、実況見分調書(甲七三)で認定〕の電気工事を請け負つており、同日午後五時ころ、ワゴン車の日産ラルゴ(以下「D車両」という。)を運転して現場に到着し、材料の搬入をした後、D車両を同区猿楽町一丁目二番四号第二出版社前路上(地番の特定については前に同じ。)に移動して錦華公園方向に車両の前部を向けて駐車した。Dは、戊田ビルの工事現場で工事の進捗状況等を監督した後、同日午後八時過ぎに工事に必要なマイナスドライバーを取るため、D車両に戻つた。

(2) Dは、D車両の後部ドアを一番上まで跳ね上げて荷台を見たが、ドライバーはなく、後部座席を見るために、後部ドアを開けたまま、車両の左側のサイドドアの地点に回り、それを横にスライドさせて開けた。ドライバーは、後部座席に置いてあつた仕事用ベルトに差し込んであつたので、車の中に頭を突つ込んでこれを取り出した。

この時、何か人の気配を感じたので、ドアを開けつぱなしでまずかつたかなという気がして顔を上げ、後部ドアの上がつている所を通して横断歩道の方向を見た。顔を上げたのと同時に、横断歩道と歩道の境目位のところに男の二人連れが並んで錦華小学校の方向から来たのが目に入つた。車に近い方の男(以下「甲」という。)が、後部ドアをちよつと避けるような恰好で頭を少し左側に傾け、身体も避けるようにして来た。二人は、D車両の後ろ側を通つてすぐ右折して、Dの後ろを通つて、錦華公園方向に歩いて行つた。Dが二人に気づいたとき、甲は最初ほとんどDの方向を向いていて目が会つたが、すぐに目をそらした。また、D車両から遠い方の男(以下「乙」という。)は、斜め右前の横顔が見えた。正面の顔は見ていない。甲については良く見ており、印象も割合強い。

二人とも紙にマジックインキ様のもので真つ黒く塗つたような田舎芝居ででも使うような付け髭をしており、あつけにとられて何者なんだろうという感じで見ていた。付け髭は、両面テープか何かで張りつけたような感じを受けた。髭を耳に掛けるためのひものようなものは見ていない。

乙は、左頬の付け髭が剥がれかかつていたのに気づいたらしく、左手であわてて押さえるような恰好で、ちよつと伏目がちに自嘲気味な笑いを浮かべながら通り過ぎた。

右のような甲、乙の様子は、車の中に上半身を突つ込んで、前かがみの姿勢で顔だけ二人連れの方に向けて、ずつとそのような姿勢で二人がDの後ろを回つて行くまで見ていた。

二人は映画俳優かなと思つて、後ろを通り過ぎた後、身体を車から出し、立つた姿勢で、二人が錦華公園方向の水道橋方向に曲がる路地の近くへ行くまで、後ろ姿を見ていた。二人はかなり足早の感じで歩いて行つた。

当時、D車両の付近には街路灯の水銀灯があつて、人の顔を十分識別できるような明るさだつた。視力は左右とも裸眼で一・二である。

(3) 甲は、身長一七〇ないし一七五センチメートル位、中肉ですらつとした感じで、三〇歳前後位であつた。やや細面で、しつこくない顔で、眼鏡はしておらず、目は細く涼しげな感じで、眉毛は一般よりは細く、濃さは普通であつた。鼻筋は通つていた。口、耳は特徴的なことはない。やや日焼けした感じの顔色であつた。髪型は一般的であつた。

付け髭は、もみあげのところから顎にかけてと鼻の下を覆うもので、紙にマジックインキで縦方向に塗つたような感じで真つ黒だつた。鼻の下の髭は顎の髭と分かれていた。

(4) 乙は、身長一七〇センチメートル位で、甲よりややがつちりした感じで、三〇歳代前半位だつた。ちよつと頬骨が張つている感じで、眼鏡は掛けておらず、目は甲より少し大きく、少しはつきりしており、眉は少し濃かつた。鼻筋が通つていていい男に見えた。口許は特徴的なことはなく、耳は良く覚えていない。

ちよつと日焼けしたような血色のいい顔色をしていて、髪型は普通であつた。付け髭はほとんど甲と同じであつた。

乙は、左手で付け髭を押さえ左に顔を傾げているような状態だつたので、甲と同じくらいの身長に見えたが、それを計算してみれば、乙の身長の方が高かつたと思う。

(5) 二人を見送つた後、すぐ現場に戻つて、地下の作業にかかつた。

約一〇分後に戊田ビルの地下室で第一回目の爆発音を聞き、すぐに停電になつた。

(6) 目撃後、目撃状況につき、全部で一〇回位事情聴取を受けた。

警察官から、神田警察署で二冊の写真帳(甲六五、六六)を一回見せられ、その中に目撃した人物の写真があるかと聞かれた。一ページ目から順番に見ていき、一目見たときに、甲、乙ともこの写真の男だということが分かつた。甲に似ているとして選んだものは甲六六の六番(Zの写真)、Zに似ているとして選んだものは甲六五の四番(被告人の写真)である。

甲については、顔の輪郭、目の細い感じ、鼻の形等から、似ていると判断した。

乙については、顔の感じ、ちよつと顎の張つた感じ、鼻筋が通つた感じ、眉毛の感じ、目の感じで選び、付け髭が剥がれかかつたときに見せた、ちよつと伏目がちの自嘲気味な笑いを浮かべたときに横顔の写真がそつくりだつた。

(7) 写真帳を見せられてから一、二か月後に警察で写真帳の写真と甲、乙の最近の写真をバラの状態で見せられ、髭を書き込んだ。最近の写真よりも、写真帳にあつた写真の方が目撃した甲、乙に似ていたように思つた。

その後、昭和六三年になつてから、検察庁で調べられたときも写真帳(甲六七)を示された。写真帳の中に甲のはなかつたと思う。乙に似ているとして選んだのは甲六七の七八番(被告人の写真)である。写真帳の写真が横顔でちよつと伏目がちのところが乙を目撃したのと丁度同じような角度だつた。それと同じ写真に髭を書き入れると、乙に似てきた。

平成二年夏ころ、検察庁に呼ばれ、犯人の一人が捕まつたので乙かどうか見るようにということで警視庁で面通しをした。面通しをした男は被告人であり、色々なポーズをさせられていた。目撃したときと同じ様な状況の角度から見ると、乙にそつくりだと思つた。伏目がちにして自嘲気味の笑いを浮かべたときの表情、顔の形、背の恰好、ちよつと猫背気味の後ろ姿がそつくりだつた。また、顎がちよつと張つた感じ、鼻筋が通つたところ、眉の太さ、目の感じが似ていた。約一週間後、付け髭をしているところを見てほしいと言われ、再度面通しをした。付け髭をしてポーズを取らされていた。乙に良く似ていると思つた。付け髭を付けさせられて、照れたような笑いを浮かべたときの顔が自嘲気味の笑いを浮かべたときの乙とそつくりだつた。

(8) 警察官に甲を見てくれと言われて見せられたことが一度あつた。自分が目撃した甲だと思つた。判断には自信がある。

(9) 法廷にいる被告人は、乙に似ていると思う。目撃したときよりは、顔が少しふつくらしたような感じだが、大体顔の輪郭、顎、頬骨の張つた感じ、鼻筋が通つたところだとかはよく似ている。乙と同一人物じやないかなと思う。

(10) なお、Dは、右(2)のように甲については良く見ており印象も割合強いと述べ、あるいは、右(8)のように面通しした際の印象として、Zだと思つた、判断には自信があると述べながら、被告人については、右(6)(7)のようにそつくりだつたと述べるに止まり、甲の方が乙よりも良く見ており、印象も割合強い旨の供述をする一方、甲、乙両方同じ位見ていたとも述べており、甲及び乙に対する目撃及び印象の程度につき、趣旨の相違する供述をしている。

この点、Dは、弁護人の質問に対して、捜査段階では、乙よりも甲の方を良く見ていた、印象も甲の方が強い旨述べていたことを認める供述をしており、現に、Dの捜査段階における最初の供述調書である昭和六二年九月一六日付警察官調書(弁三一、弾劾証拠)では、写真面割りの印象として、Zの写真(甲六六の六番)は甲に間違いないと述べ、他方、被告人の写真(甲六五の四番)については乙にほぼ間違いないと思うと述べており、また、昭和六三年一月二八日付の検察官調書(弁三五、前同)では、甲の方が自分に近い位置におり、顔の正面を見たので、乙よりも甲の方をよく見た、乙よりも甲の方が印象が強い旨理由を付して述べていたこと、さらに公判廷においても、人の気配に気づいて視線をD車両の後部ドア開口部に向けた際に甲がドアとの衝突を避けるような動作をし、その際に甲と目があつた、目撃した際に甲が乙よりもDの近くにおり、甲については正面の顔と右側の顔を目撃しているが、乙については、正面の顔は目撃していないと述べていることからすると、Dの甲乙両方同じ位見ていたとの供述の信用性には疑問があり、甲の方が乙よりも良く見ており、印象も割合強い旨の供述の方が信用できると認められる。

2 甲とZとの同一性について

Dは、右のとおり、当日目撃した甲に良く似ている者として甲六六の写真帳の六番の人物すなわちZを選びだし、甲、乙のうちでは、甲の方が良く見ており、印象も割合強く、Zの面通しをした際にも甲だと思つた、その判断には自信がある旨述べている。

そこで、まず、Dの目撃した甲とZとの同一性につき検討する。

(1) 証人Zの供述の要旨

Z(第二九、三〇回公判調書中の供述部分)は、昭和六二年八月二七日は、千葉県成田市南三里塚三四三にあつた三里塚の闘争会館にいた旨、要旨次のとおり供述し、本件各犯行との関わり合いを否定している。

〈1〉 Zは、昭和六二年八月二七日当時、三里塚の闘争会館にいた。当日夜にテレビの報道で本件事件の発生を知つた。テレビは闘争会館の食堂においてあり、食堂に人だかりがしてテレビの音が大きくなつたので、食堂へ行つた。食堂には、二〇人位の人がテレビを見ていた。

テレビ報道を見て、皇居にロケット弾が発射されたということと、そのためケーブルが切断されたということが印象に残つている。

〈2〉 昭和六二年当時、Zは、中核派の公然活動家であり、責任者の一人として三里塚の闘争会館に常駐していて、週のうち火曜日の午後九時から水曜日の午前八時まで、金曜日の午前八時から午後九時まで、土曜日の午後九時から日曜日の午前八時までの合計三回、当審として勤務していた。

その間、「日刊三里塚」を週に一回、土曜日分を自分の責任で作成発行していたほか、成田市の市議会議員選挙及び芝山町の町議会議員選挙の準備や町議会議員の秘書的な仕事をしていた。

〈3〉 八月二七日当日に何をしていたか、はつきりとした記憶はない。当時、一週間に一度水曜日か木曜日に会議があり、当日会議があつたとすれば闘争会館にいたはずであり、会議がなければ、昭和六三年二月に予定されていた芝山町議会議員選挙の準備をしていたのではないかと思う。

選挙の準備としては、具体的には、五、六〇〇〇名分の有権者の名簿の作成、分析などをパソコンを使つてデータ処理していた。当時、ほとんど一日中パソコンの作業をしており、八月二七日ころには、既に入力してあつた名簿を使えるようにプログラミングしたり、部落毎とか家族毎の評価等の整理等をしていた。当時闘争会館には五インチのフロッピーディスクを使うパソコンは一台しかなく、これを操作できるのは、闘争会館常駐者ではZ一人であつた。

〈4〉 フロッピーディスク二枚(弁三八、三九)は、五インチのもので、そのラベルに記載してある字からしても、Zが作つたものである。これを使つて、平成四年一〇月に被告人の弁護人の事務所でファイルの内容をプリントアウトしたところ、昭和六二年八月二七日午後五時二六分に一太郎のソフトを使つて作業を終えたこと、及び同日午後七時一二分にMSチャートというソフトを使つて作業を終えたことを示す内容(タイムスタンプ)が表示された。

右タイムタンプはパソコンが自動的に記入するものだが、後日になつてパソコンを操作して変更することはできる。

右の各フロッピーディスクは、昭和六二年八月二七日に使用した別のフロッピーディスクから、Zがファイルをコピーしたものと思われる。停電や本件事件の後に闘争会館の捜索が行われた場合に備えてコピーし、闘争会館の外部に保管しておいたものと思うが、その後どこに保管されていたのかは知らない。

〈5〉 昭和六二年八月二三日付(弁四〇)、同月二九日付(弁四一)、同年九月七日付(弁四二)の「日刊三里塚」はいずれもZが作成した。弁四二のような軍報の関係については、機関紙前進あるいは中核派上級指導部の指示で書いている。

本件犯行に関する事件直後の各新聞の切り抜き(弁四三ないし四五)は、Zが切り抜いて日付も新聞社名を入れた。

〈6〉 Zは、昭和六二年七月二〇日に普通乗用自動車の運転免許を取得した。免許取得後、八月ころまではほとんど自動車の運転はしておらず、個人的に買い物等に使うことがたまにあつたが、反対同盟の関係者達を乗せて運転することはとてもできなかつた。

〈7〉 当時、闘争会館の前には警察の車が常時駐車し、監視しており、Zは、顔と名前が知れていたので、外部に出掛ければ、警察に動向は把握されていたはずである。

(2) Z供述の信用性

以上のとおり、Zが昭和六二年八月二七日当日の犯行時刻に近い時間帯に闘争会館にいたことを裏付ける物的な証拠としては、前記二枚のフロッピーディスクに記入されたタイムスタンプ以外にはないところ、当該フロッピーディスクの保管状況は不明であり、タイムスタンプの記載はパソコンの操作により後日変更することができるのであり(これは、甲一三九の捜査報告書によつても裏付けられている。)、また、同日夜に闘争会館のテレビで本件事件の発生を知つた旨の供述についても、その裏付けとなる証拠はないのであるから、Zが、本件犯行当時、三里塚の闘争会館にいたと確定することはできない。

しかしながら、反面、Dの供述を除けば、Zが当日三里塚の闘争会館にいたことを否定する証拠がある訳ではなく、また、写真撮影報告書(甲八三)によつて認められる自動車運転免許証の住所等により昭和六二年八月当時にZが三里塚の闘争会館に住所をおいていたことの裏付けはあり、さらに、前記「日刊三里塚」(弁四〇ないし四二)の存在等から同年八月ころ、闘争会館に常駐していたとのZの供述の信用性も一応肯定することができる。

また、前述のとおり、本件各犯行に関し、捜査機関は、本件保冷車の運転者には、検問に備えて、中核派の公然活動家を充てた可能性があるとして、中核派の公然活動家を抽出して甲六六の写真帳を作成して写真面割りに使用したものであり、Zはそのうちの一人として抽出掲載されたものであるが、同人が普通乗用自動車の運転免許を取得したのは、昭和六二年七月二〇日であり、約一か月後に、車両の大きさ、形態などの点からして普通乗用自動車よりも運転が難しいと思われる保冷車を運転することは、事故を起こす危険性もあり、また、その運転免許証の住所は三里塚であつて、検問等の際に不審を抱かれるおそれもあつて、このように犯行計画の発覚の危険を犯しながら、Zが実行に当たつた可能性は高くないものと推認される。

結局、Zが本件犯行の際、千葉県成田市南三里塚の闘争会館にいたと確定できるだけの証拠はないが、他方、その可能性も否定することはできない。

3 D供述の信用性について

Dの目撃した甲がZである可能性については、右2の検討のとおり肯定も否定もできないので、D供述の信用性を検討するに当たつては、その双方の場合に分けて検討する必要がある。

(1) Dの目撃した甲がZであつたとした場合

Dは、主尋問の際(第九回公判)、本件当時に目撃した甲の身長は一七〇ないし一七五センチメートル位で、乙の身長は一七〇センチメートル位であつたと供述していたところ、再主尋問の際(第一〇回公判)になつて、乙は左に頭を傾げているような状態であつたので、高さ的には甲と同じように見えていたが、それを計算してみれば乙の身長の方が高かつたと思う旨供述を変更している。

そこで、右いずれの供述が信用できるかであるが、Dの昭和六二年九月一六日付警察官調書(弁三一、弾劾証拠)によれば、Dは甲乙が並んで立ち去つていく後ろ姿を見ており、その際乙が左手で左頬のあたりを押さえたままの状態で歩いていたとした上で、甲の身長は一七五センチメートル位であり、乙の身長は一七三センチメートル位である旨供述し、その後、同年一〇月一三日付警察官調書(甲一二九、前同)で、「甲乙は後ろから見て同じような背丈に見えたが、今思うと、乙は左手で左頬辺りを押さえ、頭を左に傾けていたため同じ様な背丈に見えたが、乙の男が体を真つ直ぐに伸ばせば甲より背は高かつたのではないかと思う」と公判廷におけるのと同様に供述を変更している〔昭和六三年一月二八日付検察官調書(甲一三二、前同)もほぼ同旨〕。

以上によると、目撃時に最も近い当初の供述調書において、甲乙が並んで立ち去る後ろ姿を見たことも踏まえて、甲の身長が一七五センチメートル位、乙の身長が一七三センチメートル位と、甲の方が乙よりも若干高かつたとの趣旨の供述をし、公判廷においても当初甲の身長の方が高い趣旨の供述をしていること、その後供述を変更したのは、乙の姿勢を理由とするもので、しかも、その理由も後記のとおり合理的なものではないことからすると、乙の姿勢を考慮すると乙の方が高かつたと思うとの再主尋問における供述の信用性には疑問があり、やはり、Dが目撃した際の甲乙の身長に関する印象は、甲の方が乙よりも若干高いというものであつたと認めることができる。

ところが、平成四年一一月九日の第三〇回公判において計測した結果(同公判調書中の証人Zの供述部分参照)によれば、Zの身長は、一六六・一ないし二センチメートル、被告人の身長は一七五・三センチメートルであり、両名の年齢を考慮すると、本件各犯行当時においてZ及び被告人の身長はこれとほぼ同じであつたものと推認されるから、身長差約九センチメートルのあるZと被告人が並んで歩行しているところを目撃した際に、被告人の方が身長が低いという印象を受けることは通常考え難い。確かに、Dが当初D車両の中からその後部ドアの開口部越しに甲と乙を目撃した際には、甲が乙よりもDの近くにおり、Dはこれらを下から見上げる状態であつたので、より近くにいた甲の身長が高いものと感じた可能性はあるが、Dは、その後、甲と乙が錦華公園方向に並んで歩いて行く後ろ姿を約三五メートルにわたり〔距離については、実況見分調書(甲七三)で認定〕、立つた姿勢で後方から見送つていたというのであるから、このような目撃状況からして、甲すなわちZの身長が乙すなわち被告人の身長よりも高く見えたということは考え難い。

Dは、乙すなわち被告人が剥がれ掛けた付け髭を左手で押さえるために左に頭を傾けていたことから、乙の身長が低く感じたもので、それを計算すれば、乙の方が甲よりも背が高かつたと思う旨供述するけれども、そのような動作をしたとしても、乙の肩は甲の肩よりも相当に高い位置にあつたはずであり、また頭の位置も、顔を真つ直ぐに立てた場合よりも大幅に低くなるものとは考えられず、甲の方が身長が高いという印象を受けるものとは考え難い。

なお、検察官は、Zが身長をごまかすために、踵の高い靴を履いていた可能性がある旨主張するが、甲の歩行状況、服装等において右を疑わせる証拠は一切存在せず、右は単なる憶測に過ぎない。

結局、Dの目撃した甲がZであつたとすると、Zよりも身長が約九センチメートル高い被告人が乙であつたものとは認められない。

(2) Dの目撃した甲がZでないとした場合

前記1(10)のとおり、Dが甲、乙を目撃した際には、二人のうち甲の方が乙よりも良く見ており、印象も割合強いものであつたと認められる。

そして、Dは、前記1(8)のとおり、Zと面通しをした際に、Zを本件当時に目撃した甲だと判断し、その判断には自信がある旨供述している。

ところが、Dがより強い印象を持つており、同一性の識別に自信を持つている甲がZではなく別人物であつたとすると、より印象が弱かつた乙についての識別供述の信用性には、強い疑問があるものといわなければならない。

Dは、目撃した乙と被告人との同一性について相当程度の自信がある旨供述しているが、甲についてはより強い自信を示しているのであつて、甲に関する供述の信用性が損なわれる場合には、一見確信のあるように供述する乙に関する識別供述の信用性はより一層減殺されざるを得ないものというほかない。

(3) 結論

結局、Dの識別供述は、目撃した二人のうちの甲がZであつたとしても、また、同人でなかつたとしても、いずれにせよ乙を被告人とする点については、信用性がないものといわざるを得ない。

四  Cの供述について

証人Cは、千代田区猿楽町《番地略》所在の甲田ビル内にある会社の社長であるが、昭和六二年八月二七日午後八時一〇分過ぎころ、帰宅のため甲田ビルの出入り口から出て、その前の歩道を日貿ビル方向に徒歩で進行した際、進行方向にある日貿ビル前路上において冷凍車が停止し、その助手席から男が降車の上当該冷凍車を誘導するような動作をしているところを目撃し、その男の横を通り過ぎる際に、その容貌を視認し、写真面割りの結果、右目撃にかかる男に似た人物として、被告人の写真を選択し、右冷凍車は本件保冷車と同一だと思うとしている。

そこで、この助手席から降車した男と被告人との同一性の識別供述の信用性につき検討する。

1 C供述の要旨

証人Cの供述(第七、八回公判調書中の供述部分)の要旨は次のとおりである。

(1) Cは、昭和五三年二月から、千代田区猿楽町《番地略》所在〔地番は実況見分調書(甲七二)で認定〕の甲田ビル内に本店のある会社の社長をしているが、同六二年八月二七日は午後八時ころに会議を終え、身支度をして、午後八時一〇分を過ぎたころ、同ビルの猿楽通りに面した玄関から出て、同通りの歩道上を錦華通り方面に徒歩で向かつた。

甲田ビルの玄関から出たときに、白いセダン型の自動車が左手からかなりのスピードで通り過ぎて行き、進行方向の猿楽通りと錦華通りの接する丁字路付近で減速した際、その丁字路から左折して車体の前部が錦華通りに入つてきた冷凍車か保冷車(以下「冷凍車」という。)が路を譲るようにして後退した。

(2) Cは、丁字路方向に歩道の真ん中付近を歩いて行つたところ、前方の冷凍車は白いセダンをやり過ごして、そのまま猿楽通りに進入して日貿ビルの地下にある中華料理店四川飯店の入口前付近に止まり、助手席から一人の男が降りてきた。その際、冷凍車の前照灯は付いていなかつた。

男は、冷凍車の運転席の前を行き来して、幅寄せの誘導をし、「もうこの辺でいいだろう。」などという言葉を発していた。男は、運転席の前のフロントガラスのところへ行つたり、歩道の縁石のほうを見てみたりしていた。動作はてきぱきとしていた。

そのころ、男が頬から顎にかけて、鼻の下も隠れるような髭を生やしていることに気づいた。Cは、自分も髭を生やしており、髭には興味を持つていたので、男に近づくにつれて、その髭をしげしげと見たが、そのうち男の耳のところに黒いひもが見えて、付け髭であると気づいた。付け髭は、黒のビロードかラシャのような素材であつた。

Cは、冷凍車が丁字路付近に停車したので左折車に迷惑をかけるのではないかと思い、冷凍車をしげしげと見て、また、いい歳をした男が付け髭をしているということで、男の顔をしげしげと見た。Cが男の横を通り過ぎる際、男は一瞬Cの方に顔を向け、二、三メートルの間隔でCと相対する瞬間があつた。その際、Cは歩を緩めたと思う。

(3) Cは、そのまま、男と冷凍車の横を通り過ぎ、錦華通りを渡つてから、一旦振り返つて冷凍車の後部を見た後、地下鉄の神保町駅に向かい、地下鉄を利用して帰宅した。帰宅すると、神保町の知り合いからの電話で、会社のビルの前で事件になつているとのことを聞き、午後九時ころのテレビニュースNC9で本件事件を知つた。テレビの画面には、保冷車か冷凍車のようなトラックの後ろ側が写つており、帰宅の際目撃した冷凍車だと思つた。その際は、一時間位前のことをかなり思い出していた。

(4) 冷凍車の前で誘導していた男は、身長一七五ないし一八〇センチメートル位で体付きはすらつとしていた。年齢は三〇歳代で、若くとも二八、九歳位で、決して学生風ではなかつたし、中年以降というかある程度歳をとつた人でもなかつた。白つぽいシャツのようなものを着ていたかなという気もするし、ネズミ色つぽいものだつたかなという気もする。

かなり目鼻立ちがはつきりした人で角・面長の感じの顔であつた。顔の目鼻等のパーツがはつきりしているという印象である。奥目つぽい人のような感じで、眼鏡はかけていなかつた。凛々しい感じをうけた。印象はがつちりした、きりつとした、しやきつとしたというものだつた。目鼻は決して小さかつたとは思わない。眉毛がこうだ、目がこうだというふうには一つずつは記憶がない。眉毛は濃かつたような気がする。髪型はこれといつた印象はない。髭全体の状況はイラン人の髭のような感じだつた。

水銀灯の街路灯と四川飯店の明かりで、付け髭の男と相対した付近は明るかつた。

視力は当時裸眼で両眼とも一・二だつた。

(5) 事件をテレビで知つて付け髭の男が犯人と思つたので、警察の捜査に協力することとし、翌日、警察官に事件直前に現場付近で不審な人物を目撃した旨を申し出た。事情聴取がかなり進み、目撃した不審者の人相、特徴につき供述した後の段階で顔写真を見せられた。当時は、まだ記憶はかなり定まつていた。

一回目はモノクロだけの二冊の写真帳(甲六五、六六)を見せられた。写真帳を見せられた際、警察官から「この中に当夜の人物がいないかどうか。似ている人でもいい。」と言われた。また、「その写真を見せるにあたつては、立場上何も言えない。」とも言われた。写真帳の写真を一〇分前後かけて、髭をいれたらどうなるかなと思いながら見ていつた。似ているなあと、しかし、ちよつと若すぎるなあと思つたが、顔の輪郭、目鼻、眉毛の辺りを中心に見ていくと似ているなと思う人はいた。写真を見たときに瞬間的に似ているなという気がしたように思う。直観でああこの人が似ているなというふうな、そういう感じで似ているなと思つた。身長を尋ね、一七五センチメートルだか一七八センチメートルと言われた。断定はできないが、事件当夜見た男に良く似ている人だと言つた。でも、これだけではちよつと何とも言えないとも言つたのではないかと思う。いつころの写真か多分尋ねて、事件に近いときの写真があればもつとはつきりするんだがとも言つた。甲六五の四番の写真(被告人の写真)が、その際に選んだ写真である。

その後、別の機会に、より新しい写真である運転免許証のカラー写真を見せられた。最初に見た写真の顔よりは、事件当夜の付け髭をしていた人物により近いなという印象は持つた。マジックペンで髭を書き込み、書き入れるとより良く似ていると思つた。この写真を見せられたとき、白黒の写真もあつたかもしれない。全体像の写真を見せられたこともある。その際の調書に添付された運転免許証の写真の下に「感じがよく似ている」と記載しているのは、断定はできないという意味合いを込めたものである。

検察庁では甲六七の写真帳を示され、以前検察官に似ている感じがすると指摘した人物の写真(七八番の被告人の写真)があつたので指摘した。

(6) 平成二年に被告人の面通しをした。被告人は左右を向いたり、正面を向いたりさせられていた。背恰好、顔の輪郭、目鼻立ちは似ているなと思つた。しかし、色は白いし、顔の表情が事件当夜の人のように険がなく、非常に達観したような顔つきであつた。そういう面から見ると、表情もてきぱきしていないし、凛々しさというものは全くその中から感じとることはできなかつたので、物理的な面は似ているけれども、そういう雰囲気を含めた事件当夜の男とは言い切れないというのが、当時の気持ちだつた。事件当夜の人の目付きは生き生きとしていた。透視鏡を通して見た人の眼はそういう感じを受けなかつた。検察官には、似てはいるけれども断定はできないと言つた。

その一週間程後、付け髭を付けた被告人の面通しをした。良く似ているなという気はした。そのとき、七〇パーセント位の感じで似ていると言つた。七〇パーセントと言つたのは、既に記憶が減退していたことと、表情が全く違つていたこと、顔色も事件当日は浅黒かつたのに色白であつたこと、目撃した男はてきぱきと粗かつたが、被告人からは全くそれの面影を感じることができなかつたことからである。

証言時には、面通しをした一年前よりも、昭和六二年当時の記憶がはるかに減退してしまつていることなどから、法廷にいる被告人が目撃した付け髭の男であるかどうかについては、答えるのが難しい。

2 C供述の信用性について

(1) 視認条件

〈1〉 目撃状況

Cが、昭和六二年八月二七日午後八時一〇分過ぎころに、日貿ビル前路上において、冷凍車前で幅寄せの誘導をしていた男の容貌を目撃した際の状況は、Cの前記供述、証人Uの供述(第一三回、一四回公判調書中の供述部分)及び実況見分調書(甲七二)を総合すれば、次のとおりである。

すなわち、Cは、甲田ビルの猿楽通りに面した玄関を出て、錦華通り方向に向けて歩道を歩行中、前方に錦華通りから猿楽通りに向けて進入してくる冷凍車を認め、その助手席から男が降車するところをその約一六・四メートル手前の地点(甲七二添付の現場見取図(3)の〈3〉の地点)で目撃し、同人が右冷凍車の運転席前で幅寄せの誘導をしているところを見ながら進行し、男の約六・二五メートル手前の地点(同現場見取図(3)の〈4〉の地点)で、男が「この辺でいいだろう。」と声を出したのを聞き、そのころ、男が髭を生やしていることに気づき、男から約二・〇五メートルの地点(同現場見取図(3)の〈5〉の地点)で男の髭が付け髭であることに気づき、いい歳の男が付け髭を付けていることを不審に思い、男の顔をしげしげと見、そのまま歩行して男の横を通り過ぎる際に、一瞬男の顔がCの方を向いて相対する瞬間があり、その際、一瞬歩を緩めた。

〈2〉 目撃条件の検討

右目撃の際における現場の明るさについては、当裁判所の検証調書(平成四年一一月五日実施のもの)によれば、前記甲七二添付の現場見取図(3)の〈5〉の地点においては、検証者が静止した状態で、保冷車前付近にいる付け髭を付けた男の顔の輪郭、目鼻立ち、眉毛の濃淡、左耳の形、頭髪の状況等は十分に視認できる状態であつた。

Cが男に気づいたのは、約一六・四メートルの距離にある地点からであるが、男が髭を生やしていることに気づいたのは、約六・二五メートルの地点であり、付け髭であることに気づき、男の容貌をしげしげと見たのは、約二メートルの至近距離であつた。

実況見分調書(甲七二)によれば、実況見分の際に測定したCの歩行速度は、約六六・一五メートルの距離を歩行するのに約五〇秒間を要しているので、秒速約一・三二三メートルとなり、したがつて、Cが、髭を生やしていることに気づいてから男の横を通り過ぎるまででも五秒程度であり、付け髭であることに気づき、男の容貌をしげしげと見た時間は一瞬歩を緩めたとしても、その横を通り過ぎる間のせいぜい数秒程度であつたものと認められる。

そして、目撃した男は、顔の鼻の下と頬から顎にかけて真つ黒な付け髭をしていたものであり、顔の上半分の特徴しか見えない状態にあつた。

Cが男を目撃した際は、会社の仕事を終えて帰宅するために、歩道を歩行中に、たまたま、前方に冷凍車及び助手席から降車した人物を目撃し、歩行しながらその様子を見たというものであるが、Cは、目撃した男の付け髭に気づいてからは、いい歳の男が付け髭をしていることに不審感を抱き、また、冷凍車の駐車位置が錦華通りからの左折車の妨害になるものと思つて腹立たしく感じ、歩行中にその男の顔と冷凍車の方を見たというのであり、男につき意識的な注意を向けていたことが認められる。

しかしながら、他方、Cは、目撃当時は、何らかの事件等の関係で付け髭の男を目撃した訳ではなく、単に、付け髭を付けた男を不審に思つて見たということであり、男の容貌の特徴を意識的に記憶に止めようとしたものであつたとは認められない。

Cは、男の目撃から約一時間後に事件の発生をテレビで知り、目撃した男の特徴を思い出している。

〈3〉 以上のようなCの目撃状況等については、現場の明るさ、目撃対象までの距離、Cの意識的な注意、記憶の再現という点では、良好な条件であつたということができる。

しかしながら、他方、Cは、意識的な注意を向けたといつても、帰宅途上の歩行中に、いい歳をして付け髭をつけている男の顔を、どのような人物かと思つて見たというものであつて、何らかの犯罪を現認して意識的にその容貌の特徴を記憶に止めようとしたという訳ではなく、目撃時間については、帰宅のため歩行中に、男の髭に気づいてから男の横を通り過ぎるまででも五秒程度であり、その間付け髭と気づくまでは髭の方に注目していたのであり、男の顔を注視したのは付け髭と気づいてからのわずか数秒間に過ぎず、しかも、男はほぼ顔の下半分を付け髭で覆つていたというのであるから、一瞬の目撃に基づく人物の限られた特徴の識別であつて、一般に、人物の同一性識別供述については誤謬が入る可能性のあることをも併せて考慮すると、その供述に高い信頼をおくことはできない。

なお、検察官は、Cが男を見始めてから、その横を通過するまでの距離は約一六メートル余りであるから、男の特徴を記銘するのに十分な時間があつた旨主張する。しかしながら、前記のとおり、Cが、男が髭を生やしていることに気づいたのは、男から約六メートル手前の地点であり、付け髭であることに気づいたのは約二メートル手前に至つてからであつて、その結果、いい歳をして付け髭を付けている男のことを不審に思い、顔をまじまじと見たというのであるから、Cが男の容貌の特徴を注視したのは、男の手前約二メートルの地点からであつて、その地点から男の横を通り過ぎるまでの間はせいぜい数秒程度であつたものと認められ、男の特徴を記銘するに十分な時間があつたとは言い難い。

(2) 写真面割り等の状況

証人Cの前記供述、同Uの前記供述、写真二枚(甲一〇六)によれば、Cの写真面割り等の状況は次のとおりである。

〈1〉 Cは、昭和六二年九月一四日に警視庁神田警察署において、同年八月二七日に日貿ビル前で目撃した際の状況や助手席から降りてきた男の特徴について供述し、最初の供述調書が作成された。

〈2〉 そして、Cは、警察官のUから、同年九月二四日、会社の社長室で、甲六五及び六六の写真帳を示され、甲六五の写真帳の二ページ目の下の写真のところで視線が止まり、指で顎の辺りを隠すなどした後、甲六五のその余の写真及び甲六六の写真を見て、もう一度甲六五の写真を後ろのページから見て、そのうち甲六五の四番の写真(被告人の写真)の男の身長をUに聞いた上で、角・面長の顔、顔のパーツ、眉毛の生え具合、目鼻の恰好が良く似ている、ただ、この写真は、私が見たのよりも若い感じと、無気力な感じがするが、年をとつた状態や犯行に及ぼうとする緊張状態を想像するとますます似てくると述べ、写真にマジックインキで髭を付けてみると、目撃した犯人にかなり良く似てきたと述べた。しかし、Cは絶対間違いないとは断定できないとも述べ、また、見せられた写真だけではちよつと何とも言えない、事件に近いときの写真があればもつとはつきりするんだがとも言つている。

〈3〉 Cは、同年一〇月六日、会社の社長室で、被告人の運転免許証に添付された写真(カラー及び白黒各一枚)を示され、前に示された甲六五の四番の写真よりも一層良く似ており、黒マジックで髭を書き込むと(髭を書き込んだ写真が甲一〇六)、書き込む前よりも良く似ていると思つた。そして、Cは、その際の調書に添付された運転免許証の写真の下の「感じがよく似ている」との記載については、それは断定できないという意味合いを込めたものであるとしている。

〈4〉 Cは、平成二年に逮捕中の被告人と面通しをした。その際の印象は、1(6)のとおり、顔や背恰好は良く似ており、物理的な面は似ているが、目撃した男は険のある顔でてきぱきした表情であつたが、被告人からはその面影を感じることができないことなどから、似てはいるけれども断定はできないとしている。

また、その一週間程度後に、Cは付け髭を付けた被告人と面通しをしたが、その際も1(6)のとおり、良く似てはいるけれども、面通しをした男と事件当日に目撃した付け髭の男とは七〇パーセント位の感じで似ているとしている。

〈5〉 以上のとおり、Cは、第一回目の写真面割りで甲六五の四番の写真(被告人の写真)が事件当日に目撃した男に良く似ていると指摘しているが、その写真は目撃した男よりも若く無気力な感じがしたため、当該写真だけでは断定できないとしていた。そして、後日、より事件当時に近い被告人の写真を示されたときは、以前示された写真よりも目撃した男に良く似ているが、やはり断定はできないとしている。

さらに、平成二年の被告人の面通しの際にも、容貌の物理的な特徴は似ているが、表情や雰囲気は事件当時の男と異なつており、その面影を感じることはできなかつたとしている。

結局、Cの供述は、本件事件から一か月程後の第一回目の写真面割りにおいても、記憶が減退してきたとする面通しにおいても、目撃した男と被告人の容貌は良く似ているが、目撃した男の表情、全体の雰囲気、面影は、示された被告人の写真や面通しした被告人からは感じられなかつたというものであり、目撃した男が被告人と良く似ているが、断定はできないという内容のものである。

これは、一面で同証人の誠実で慎重な人柄の現れであるという面のあることも否定できないが、それだけにまた、同証人が確信を持てなかつたことを示すものというべきである。

(3) 結論

Cは、本件事件や被告人と利害関係のない者である上、記憶のないところは記憶がない旨を、記憶の薄れたところや確信の持てないところはその旨をありのままに供述しており、その供述内容等からして、Cの供述は慎重かつ誠実なものと認められる〔なお、弁護人の弾劾証拠であるCの検察官調書二通(弁二八、二九)及び警察官調書一通(弁三〇)は、Cの証言と内容においてほとんど差異のないものであつて、これによつて、C証言が弾劾されるものとはいえない。)。

しかしながら、Cの事件当日の視認条件は、帰宅途上で歩行中に不審な男の横を通り過ぎる際の僅か数秒間、男の顔を注視したに過ぎず、しかも、顔のほぼ下半分に付け髭を付けた状態で目撃したというものであつて、視認条件からして、人の容貌の特徴を十分に識別、記銘できる状況にあつたものとはいい難い。したがつて、その供述内容が「被告人は目撃した男と良く似ているが、同一人物と断定することはできない。」というのも、Cが慎重な性格であるからというに止まらず、その視認条件の不十分さにもあるものと認められるのであつて、目撃した男と被告人が同一人物であることを認定するに足りる証明力を有するものとはいえない。

第三  結論

以上のとおり、本件においては、本件各犯行と被告人とを結び付ける三人の目撃証人のうち、Bについては、同一性を識別できる程に人物の容貌の特徴を視認できる状況にあつたものとは認められず、Dについては、同時に目撃したとされるZに関する目撃供述との関係で、目撃した男と被告人との間の同一性を認めることはできず、Cについても、その供述自体に信用性は認められるとしても、視認条件及び供述内容などからして、それのみで同一性を肯定することができる程の証明力を有しているものとはいい難く、しかも、被告人については、本件各犯行当時のアリバイが成立する可能性も否定できないのであるから、Cの供述のみによつて、被告人と事件現場付近で目撃された人物との同一性を認定することはできず、その他、検察官が主張する被告人の中核派における役割等によつては、本件事件現場付近で目撃された人物と被告人との同一性を認定することは到底できない。

したがつて、B、Cが目撃した車両と本件保冷車との同一性を云々するまでもなく、本件各犯行と被告人との結びつきについて、合理的な疑いを超える証明はないことに帰する。

よつて、本件においては、被告人が犯人であることにつき証明がなされておらず、犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 大野市太郎 裁判官 藤井敏明 裁判官 平塚浩司)

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